独り(ひとり)は「一人」ではない。
リルケの『マルテの手記』(大山定一訳、新潮文庫)は「独り」文学の代表作だろう。
私はこの本を読みながら途中で何度も挫折している。
なのに、また開くのだ。
マルテの手記

たくさんの人々の中で育んでもらった青年マルテが社会に飛び出して「独り」をとことん味わうのだ。
マルテはリルケ自身ではないらしいが、マルテにリルケが憑依しているのが読めば感じられる。
おそらくマルテという青年は実在で、孤独らしかったが、リルケが彼のことを十分に知っていたわけではなかった。
「入れ物」としてのマルテにリルケが入り込んで紡いだ日記のような、随筆のような断片の寄せ集めの「私小説」である。

マルテはデンマークに祖先をもつ青年らしく、彼の追憶はデンマークの由緒ある城郭を舞台にしている。
よそよそしい不思議な家族や召使いたちの中で、何不自由なく暮らした幼少の思い出をつまびらかに想い出すシーンは私も好きだ。
深い闇の中に浮き上がる先祖代々の主人たちの肖像画、幽霊が出そうな広い屋敷。
北杜夫の『幽霊』の追憶を想起させる。子供は幽霊や精霊と親和的で、大人には見えない存在をはっきりと見ることができるものだ。

マルテ青年の生活の場はパリであるようだ。
陸軍病院やカルチェラタンが背景として出てくるから、ソルボンヌ大学の近所だろう。
また「ガス管」や「電線」も出てくる。解説によると1904年から6年の歳月をかけてこの作品が書かれたとある。
私は本を読むときに、時代背景や地理的な背景を感じたいので、高校時代に使っていた年表や地図帳を手元においていつでも引くようにしている。
1914年に第一次世界大戦(当時は単に世界大戦と呼んでいた)が勃発するから、その少し前のパリだ。
1903年にアメリカではライト兄弟の有人飛行機が飛んでいた。その翌年にはパナマ運河の工事が始まり、1905年にアインシュタインの特殊相対性理論が発表され、明治の日本では日露戦争が終わった。1909年に伊藤博文が朝鮮人の青年に暗殺されている。
そんな時代だった。

青年期は孤独であるものだ。
感受性の強い青年ほどそうだ。
群れたがらない、帰属したがらない、孤高を好む「中二病」的な立ち位置を守りたいのである。
そのくせ、新しい思想にかぶれたり、そういった仲間に「帰属」したがるものだが…

『マルテの手記』は読者を選ぶ作品だと思う。
概して退屈な文学である。「中二病」青年の書き散らした自慰的作品だと思えるからだ。